その記憶はいつ頃のものですか? : 1964年頃
その記憶の場所はどこですか?  : 小原村平畑(現平畑町)旭村有間(現有間町)

矢作川に渡し船があったのをご存知でしょうか?
今から50年以上前小原村平畑(現平畑町)と対岸の旭村有間(現有間町)を結ぶ渡し船がありました。
幼稚園児だった私は平畑の自宅から一人で川沿いの渡船場まで歩き、船小屋のおじさんおばさんに声を掛けて
渡し船で対岸の有間まで乗せてもらい名鉄有間バス停(当時)から名鉄の路線バスに乗り小渡幼稚園(現小渡こども園)に
通園していました。
帰りはその逆パターンです。
当時は当たり前のようにそんな毎日を繰り返していましたが、今思えば、幼稚園児が一人で歩いて渡し船に乗り
定期券を見せて路線バスに乗り幼稚園に通うなど、現代ではあり得ない日常でした。
当時渡し船は無くてはならない交通手段でした。その証拠に私の記憶では渡し船が村道に指定されていたはずです。


その記憶はいつ頃のものですか? : 昭和47年7月
その記憶の場所はどこですか?  : 豊田市石野地区

 50年前の7月、毎日雨の日が続く12日の夕方、中学生の私は公務員だった父の帰りを学校下のお店で待って車で帰宅しました。いつも通りの生活です。その夜中、寝静まった所に裏山が崩れ、ドーンと大きな音で、両親と私は飛び起きました。激しい雨の音がしていました。両親は外に出て、家の前で溝を作っていました。
 祖父母は家の下の方にある蚕のハウスにいましたが、山からの雨水で川があふれ、蚕ハウスにも水が流れてきました。 
蔵の前で母が父に懐中電灯を照らしていた時、2度目の裏山の土砂崩れが起き、父が「逃げろ!!」と叫んだと思います。母の「うぉー!!」と叫ぶ声を最後に、母は蔵の下敷きになりました。
 その時、私は居間の床に腰掛けて、外を見ながら両親の事を「危ぶなくないか?」と思った直後でした。蔵の厚い土壁が私の脛を擦りました。父は祖父母に助けを求めて、私は2階で寝ている兄を起こし、2人で灯りを作るため火を焚く準備をしていると、祖母と隣近所のおじさん2人とお兄さんが助けに来てくれました。
 ちょうどその時、落雷のような大きな音と地響きがしました。3度目の土砂崩れでした。みんな一瞬で土砂の中でした。「うぅー!」と言う声、兄の「頭が痛い!」と言う声がハッキリわかりました。私は運がいいのか悪いのか、家に一歩入ったところでした。祖父もみんなの最後に来たので助かりました。祖父と一緒に町内の人に助けをお願いしに行きましたが、川があふれ田が川になっていました。そこからは記憶が途切れ途切れです。
 豊田、日進、松平、足助からおじ、おばさんが来てくれましたが、車は途中までしか来れず、「崩れた所を必死で歩いてきた!」と聞きました。沢山の人が助けに来てくださいました。隣のお兄さんはヘルメットを付けていたので助かりましたが、隣のおじさん2人、私の両親、兄、祖母は帰らぬ人になってしまいました。
 7月13日の午前3時頃のことでした。この災害が起こる前、私は2回「危ないのでは…」と勘がはたらきました。何で言葉にしなかったのかと後悔しました。 
 仲良しだった同級生も教科書を取りに家に戻り、追いかけたお父さんと2人共、土砂崩れで亡くなりました。
 13日の昼間は災害が嘘のような青空でした。
 私は雨の音を聞くのがとても怖くなりました。雨が続く日は、外出から家に帰り屋根が見えると安心しました。


その記憶はいつ頃のものですか? : 2021.9月
その記憶の場所はどこですか?  : 自宅ベランダ

長男の一歳半記念に撮影しました。
豊田スタジアムも映ってます。
これから子どもも大きくなっていくけど、豊田市の景色も変わっていくのでしょうか。



その記憶はいつ頃のものですか?: 2020年
その記憶の場所はどこですか? : 小原 自給村

農作業に興味のある町なかに住む人が集まり、
田んぼや畑、田舎の体験を
年間を通して楽しんでいます。

田植えや稲刈り、椎茸を育てたり、
野菜を作ったり。
春は山菜を摘んで天ぷらを食べたり、
冬は囲炉裏囲んでお餅を焼いたり。

豊田は山が近く、里山の暮らしや
農業など体験できる場があります。
残したい里山の暮らしと風景です。



その記憶はいつ頃のものですか? : 2020年秋
その記憶の場所はどこですか? : 香嵐渓

豊田市で生まれ育ち、新緑の季節や紅葉の季節にはよく両親に香嵐渓に連れて行ってもらいました。木々の美しさや、川の音、鳥の鳴き声など、いつ訪れても楽しくリフレッシュすることができる大好きな場所です。五平餅やししコロッケなど、美味しい食べ物をたくさん食べられる点も魅力的です。



その記憶はいつ頃のものですか? : 2009年2月15日
その記憶の場所はどこですか? : 豊田市惣田町

父に連れられて家族で見に行きました。田んぼの道に車を止めて、ロープを握って急斜面を登りました。私は自分で登れましたが、妹は父におんぶされて必死でした。上に上がると、ジブリ映画に出てくるようなヒノキが、思いっきり枝をのばして立っていました。すごい生命力をもらった気がして大興奮しました。気がついたら木に飛びかかっていました。いつまでも元気で私達を見守っていて欲しい。




その記憶はいつ頃のものですか?: 2021年5月1日
その記憶の場所はどこですか? : 三河湖近く(豊田市下山)

数年ぶりに三河湖に出かけました。妻と一緒に湖岸を散策して新緑と夏鳥の声をゆっくり楽しんでからの帰りがけ、道路脇の斜面に佇んでいるニホンカモシカを見つけました。以前にも豊田市内で出会ったことはありましたが、こうしてじっくり観察できたのは初めてのことでした。いまニホンカモシカは生息数が増えていると言われていて、ときどき豊田市の住宅街などにも現れて話題になることもあるようです。一時は絶滅が危惧されたニホンカモシカですが、いまは回復傾向にあるようです。50年後、100年後にもこうして元気な姿を見せてくれることを願うばかりです。